窓展:窓をめぐるアートと建築の旅と関連イベントの「柱間装置の文化誌」短編映画上映会(早稲田大学 中谷礼仁研究室)に行ってきたのでレビューを書いていきます。上映会は別の記事で書いていくので、まずは窓展:窓をめぐるアートと建築の旅についてです。
この展覧会は「窓学」を主宰する一般財団法人 窓研究所と東京国立近代美術館がタッグを組んで開催されている。
Information
会場 | 東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー |
会期 | 2019年11月1日(金)~2020年2月2日(日) |
開館時間 | 10:00-17:00 (金曜・土曜は10:00-20:00) *入館は閉館30分前まで |
休館日 | 月曜日(11月4日、12月2日、1月13日は開館)、11月5日[火]、年末年始(12月28日[土]-2020年1月1日[水・祝])、1月14日[火] |
観覧料 | 当日券 一般 1,200(900)円 大学生 700(500)円 |
美術館へのアクセス | 東京メトロ東西線竹橋駅 1b出口より徒歩3分 〒102-8322 千代田区北の丸公園3-1 |
窓学とは
「窓学」とは、YKK APが2007年に開始した「窓は文明であり、文化である」の思想のもと窓を学問として多角的に研究する活動です。窓を歴史的、文化的に位置づけ、その新たな可能性や魅力を提示することで、よりよい建築、都市、社会づくりに貢献することをめざして活動しています。
「窓学」は、総合監修に東北大学五十嵐太郎氏を迎え、国内外の大学・有識者と協働し、その研究成果を積み重ねてまいりました。この10年間で、計17の大学および研究機関、のべ55名の研究者、建築家、アーティストの方々に、分野の垣根を超えてご参加いただき、50を超える窓の多様なテーマについて研究を行いました。
窓研究所 HP
「窓学」はサッシメーカーのYKK APが総合監修に五十嵐太郎氏を迎えて、窓に関する様々な研究をしたり、その成果を発表したりしている窓研究所が主催している活動のことです。
現代の日本の窓は既製品のサッシが普及おり、複数メーカーがあれど、どれも似たようなサッシになってしまいます。かといって、鋼製建具を製作しようとすると金額はあがるし、性能を既製品レベルに持っていこうとするとさらに金額があがるため、低コストで新しい建具の表現をつくるのは今後の自分の課題です。そのため、窓研究所の活動は刺激的でとても勉強になります。
窓展:窓をめぐるアートと建築の旅
所要時間:約3.5時間
写真撮影:キャプションの横にNGマークのない作品は撮影可能(ほとんどの作品は撮影できます。)
東京国立近代美術館は一つの展覧会でかなり多くの作品を展示してくれるので、時間のある日や20時まで開館している金、土曜に行くのがオススメです。本展でも58作家、115点という見応えのある展示数、展示内容となっています。
常設展も時間をかけて観ようとすると、さらに時間が必要です。
展示数が多いため展示の構成も14セクションあります。
- 窓の世界
- 窓からながめる建築とアート
- 窓の20世紀美術Ⅰ
- 窓の20世紀美術Ⅱ
- 窓からのぞく人Ⅰ
- 窓のうち、窓の外_奈良原一高<王国>
- 世界の窓_西京人《第3章;ようこそ西京に−西京入国管理局》
- 窓からのぞく人Ⅱ_ユゼフ・ロバコフスキ《わたしの窓から》
- 窓からのぞく人Ⅲ_タデウシュ・カントル《教室−閉ざされた作品》
- 窓はスクリーン
- 窓の運動学
- 窓の光
- 窓は希望_ゲルハルト・リヒター《8枚のガラス》
- 窓の家_藤本壮介《窓に住む家/窓のない家》
北脇昇氏の作品のように、実在する寺院の窓がモチーフとなって幾何学の抽象的なパターンという美術に変化したり、窓の技術の歴史と建築やアートの歴史が年表でまとめられていたり、コルビュジエなどの建築家による窓に関するスケッチによって物質的な窓を構築していく思考が読み取れたりと、窓を切り口にアートから建築までさまざな時代やメディアの作品を観ることができます。
また、11「窓の運動学」の章の説明でも書かれていますが、『広辞苑』で窓の意味を調べると「①採光または通風の目的で、壁または屋根にあけた開口部。②比喩的に、外と内をつなぐもの」とあり、②の比喩的な意味での窓をモチーフにした作品も本展では紹介されています。
『広辞苑』第7版(電子版、岩波書店、2018)
この作品は、先の展示室に進むためにはダンボールのゲートの手前に立っている係員の前で、「とびきりの笑顔か、お腹の底からの大笑い」「お好きな歌を1小説」「チャーミングな踊り」のいずれかを披露せねばなりません。これも外と内をつなぐ窓ですね。
窓というものは外と内がなにかしらの境界によって区切られているからこそ、それをつなぐ役割として設けられるということが本質の一つとしてあるということに改めて気付かされます。
また、窓は視線や風など、何かを通過させるという機能を持つが、そこには段階があります。また、一方的な通過や相互干渉的に行き来が発生するものもあります。
本展では窓が美術の世界(特に絵画)で重要な役割を果たすということが第1章の説明からもわかります。第1章ではレオン・バッティスタ・アルベルティの『絵画論』(1436)を引用して、このような説明をしています。
「『私は自分が描きたいと思うだけの大きさの四角のわく〔方形〕を引く。これを私は、描こうとするものを通して見るための開いた窓であるとみなそう』
窓は室内にいるわたしたちに、四角い枠に囲われた外の世界の眺めをもたらしてくれるもの。絵画もまた、「今ここ」にいるわたしたちに、四角い枠に囲われた「ここではない世界」の眺めをもたらしてくれるもの。」
このように窓はフレーミングとそこからの眺め、視線を与えてくれる。窓は内外をつなぐために境界に穴を開けることで枠が作られる。そこには何かを見せ、何かを隠すという選択が常に同時に含まれるのである。その隠されたものに想像力を働かせることで、外への広がりを感じることもできる。
また、美術の歴史では一定の色で覆われた平坦な面と考える、見るものの不動の目を起点とする一点透視法をあちこちから対象を見る多視点に変えてみるなど、一点透視遠近法による眺めの世界を突き崩そうとする動きもありました。
10章では、窓と「四角い枠に囲われたヴィジュアル・イメージ」をテレビ、ヴィデオ、PCにまで拡張させて作品を紹介している。窓はフレーミングによってそれぞれの視線、世界を提供するが、テレビ、PC上でのウィンドウは切り替わりや複数の同時存在、重ね合わせと、窓による一点透視の統一的な世界が複数化、多層化していく。このような技術によってわれわれの視覚は変化し、窓という比喩では表せられないものに遊離していくか、窓の観念が変化していくのかもしれない。そういった意味で建築の窓も進化する必要があるではないかと考えさせられた。
また、窓はつなげる機能をもちながらも、境界であることは揺らがない。境界に穿つ穴を調整するものが窓であり、枠に境界を調整する物質がはめられる。
その境界を調整する物質に大きなガラスが用いられるようになったのが19世紀初頭で、大判の板ガラスが工場で生産できるようになった。これによりショーウィンドウが生まれたり、ガラスの反射による複雑な像が生まれた。
このように、窓の技術が進化し、建築がそれを使って空間を変容させたり、人々の生活が変化したり、それによって絵画や写真など様々な美術が窓をモチーフにしたり、窓と絵画に類似点を見出したり、窓が重要な役割を担ったりして、またそれらが建築や窓の技術を推し進める。このように窓を軸にしながら相互に影響を与えながら変化し、窓自体の解釈も変わっていく。この展覧会はそういった窓と美術と建築と我々の相互包摂的な関係を鑑賞者に観せてくれる展示でした。