2020年7月
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人間ならざるものの環境哲学 複数性のエコロジー/篠原雅武 メモとまとめ(第4章〜終章)
本書は篠原雅武氏によってティモシー・モートンの環境哲学を読み解きながら、篠原氏の思考を通して再解釈していく本である。モートンのいう環境は、純粋無垢な自然環境を意味しない。荒廃も含めた人が生きているこの世界を環境と捉えて、その中でのエコロジカルな思考を模索する。エコロジカルな思考の中で重要なのが、闇であり、暗いところであり、<私たちは死んでゆく世界と一緒にいたい>という思考であるとモートンはいうが、ニヒリズム的な思考とは異なる。モートンの主張は新しい人間主体の誕生へと開かれている。
私は建築家でありながら廃墟に強烈に魅了されている。廃墟の持つ独特の質感。人間の構築物と自然の境界が消え去り、モノが人間に隷属されるのではなく、モノ自体として活動し始めるような予感がする。そんなモノの不気味さや他性を感じられる質感を持った建築を模索するためにこの本を読む。ルール
「」…本書からの引用
『』…本書内での引用
<>…本書内での「」など
第4章 幕張ダークエコロジー
・「うつ的な精神状態が、建造環境において、空間性のあるものとして具体化されてしまっている。この現実を指摘し、さらにこれをどう考えたらよいのかを問うことが、モートンの目的である。」
・「生真面目な人は、イメージの増殖、現れることの多様性、曖昧さに耐えられない。自分がさまざまに現れてしまっていることにも、他人がさまざまに現れてしまっていることにも、耐えられない。さまざまに現れてしまっている『私』を、この世から消してしまいたいと考える。そこにうつ状態が生じてくる。」
・「モートンの考察は…喜びの生じる余地を除去し意図して楽しいと思えない状態がつくりだされていることを問題化するものである。」
・<始まりは変成的だが、終わりは美しいくらいに対称的である。生は歪みであるが、死は平和である。ちょうどフロイトが死の欲動について論じているように。始まりは歪みである。終りは首尾一貫したものになることである。殺すか破壊することは、何ものかを、首尾一貫したものに還元することである。>
→うつ状態は空間性のあるものとして現れている。これは第3章で語られているくつろぎの状態と逆で、首尾一貫した曖昧さのない、喜びの生じる余地のない状態である。
第5章 死んでゆく世界と一緒にいること
・「入口が、部分としての入口が、多数ある。そして多数の部分は、一つの全体としての構築性の部分となって従属しない。それは逆に言うと、一つの全体が複数の部分を包括し抑圧し制圧するということが困難であり、そもそもありえない状況になりつつある、ということである。」
・「モートンはまず、世界が終わるということを、これまで続いた状態が途絶し、死滅し、週末を迎えることとは考えない。これまでに私たちの心身を規定し感覚と思考を規定してきた、認識枠としての『自然』や『世界』や『生活世界』や『システム』を参照するのではわかりえない歴史的状況に突入していくこととして、考えている。」
・「崩壊において解放され、その存在がより明瞭になった無数の部分、入口、敷居を生きていることの奇妙な現実性から、抑圧的な全体性が意味を失った後の世界が始まるという見通しを提示していく。」
・「産業革命と核爆発。この二つが世界を終わらせていく。意図せざる副産物が増大し、地球上に溢れていくことで、『世界』や『自然』や『システム』といった、全体性の水準でそれなりに存在すると信じられていた概念が、意味を失っていく。これが世界の終わりである。モートンは言う。」
・「世界の終わりは、こちら側とあちら側、今とかつてを安定的に経験させる時空の座標軸の崩壊であり、失効である。」
・「モートンのいう世界の終わりは、具体的な災害が引き起こすシステムの撹乱とは、別の水準で起きている。それは、人間がその確かさを信じてきた、自然、世界、環境といった概念枠が、現実の出来事を目の前にして無効になっていくこととして、経験される。」
・「人間の有限性を人間の他の存在の有限性との連関のなかで認め考え直そうとしている。」
・「世界や場所の概念が消滅するとき、人間ならざる客体が人間に触れていることの現実性が、明瞭なこととして感じれるようになるだろう。<私たちは世界を喪失するが、魂を手にする。私たちと共存している実態が、私たちの自覚のなかへと、いっそうの切迫感とともに入ることになる>。これが、モートンのいう、エコロジカルな文化的転換である。」
・「私が現実に生きていてさまざまな客体が触れてくるところを、何らかの言葉を使って言い表す、それも、『空間』や『場所』という概念をその抽象性のまま素朴に使わず、ただ素材が素朴に集積し連関しているというのでもなく、客体が連関し、質感を発し、それでいて完全には現れることなく『私』を誘い触発してくる、そのようなところを、言葉を使って言い表す。そこでモートンが使ううのが、『ゾーン』である。」
・「客体が複数あり、私たちを魅惑してくるところに生じるゾーンのなかに、私たちは生きている。ただし、繰り返しになるが、ゾーンは私の自由意志に属さず、客体が発するところに置いて成り立ち、私たちを内包する。ゆえに、人間化された『世界』や『空間』の概念を、ゾーンは焼きつくす。」
→モートンのいう世界の終わりは、これまで信じられていた大きなものとしての『世界』や『自然』や『システム』といった概念が意味を失っていくことである。そのとき、人間ならざるモノが人間に触れていることの現実性が感じられるようになる。これが、エコロジカルな文化的転換である。
第6章 内的空間へ
・「どれだけ堅牢で永続的であるように思われるとしても、いかなる空間も一時的で脆い状態にある。そもそもが、空間は堅牢で触知可能な実態のようなものとしては存在しない。生産された空間が確として存在するという確信は、じつは幻想にすぎない。本当は、あらゆる空間がジャンク・スペースとして捉えられることを要する。放擲された空間のただなかで私たちは、空間のいっそう深い水準について、考えるようになるだろう。」…
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人間ならざるものの環境哲学 複数性のエコロジー/篠原雅武 メモとまとめ(序〜第3章)
本書は篠原雅武氏によってティモシー・モートンの環境哲学を読み解きながら、篠原氏の思考を通して再解釈していく本である。モートンのいう環境は、純粋無垢な自然環境を意味しない。荒廃も含めた人が生きているこの世界を環境と捉えて、その中でのエコロジカルな思考を模索する。エコロジカルな思考の中で重要なのが、闇であり、暗いところであり、<私たちは死んでゆく世界と一緒にいたい>という思考であるとモートンはいうが、ニヒリズム的な思考とは異なる。モートンの主張は新しい人間主体の誕生へと開かれている。
私は建築家でありながら廃墟に強烈に魅了されている。廃墟の持つ独特の質感。人間の構築物と自然の境界が消え去り、モノが人間に隷属されるのではなく、モノ自体として活動し始めるような予感がする。そんなモノの不気味さや他性を感じられる質感を持った建築を模索するためにこの本を読む。ルール
「」…本書からの引用
『』…本書内での引用
<>…本書内での「」など
序章
・「本書は、ティモシー・モートンの人文学的環境学の読解と解釈を目的とする。」
・「現代の思想が、思弁的実在論の衝撃から始まっていることを前提とする。そのうえで、<相関主義批判>とは違うものとして、自分の試みを位置づけている。」
・「重要なのは相関性そのものの外に出ることではなく、人間と世界の相関性を囲むようにして広範に広がる他の相関性との相互連関のなかに人間の相関性を位置づけて考えることを提唱する。」
・「モートンの隠れた主張は、<諸関係の非関係性>として解釈することが可能である。客体や実体がエコロジカルな諸関係へと入り込むとしても、それら客体や実体は、諸関係そのものによって構成されるのではない。各々が独特で、それぞれに対して奇妙で、曖昧で、謎めいている。」
・「モートンのエコロジー思想では、諸々の部分が一つの全体性へと統合されるというモデルが批判されているが、それだけでなく、部分が他の部分と関係し、関係の中へと埋没するというような関係論的な発想もまた批判されている。」
→人間中心主義から脱却して、人間ならざるものの連関性の中に人間の連関性も位置付けて考える。ただし、全体主義的なモデルや関係を第一に重視する考え方とは異なり、各々の客体や実体が連関の中に入り込んでも<諸関係の非関係性>は保たれている。
第1章 アンビエント・エコロジーへ
・「モートンは、人間をとりまくものという意味での環境を、美学や文学、哲学・思想という観点から、概念化し直そうと試みている。」
・『環境主義とは、人間とそれを取り巻くものとの関係のなかに存在する危機(a crisis in humans’ relationships with their surroundings)への、文化的で政治的な一連の応答のことである。これらの応答は、科学的であったり、活動家によるものであったり、芸術的であったりしうるし、あるいはそれらすべてが混在したものであるかもしれない。』
・「モートンの思想の基本には、人間が生きているこの場には<リズムに基づくものとしての雰囲気(atmosphere as a function of rhythm)>があるという直感がある。」
・「人間は、人間が身を置くところに置いて生じている独特のリズムとともに生きているのであって、このリズム感にこそ、人間性の条件が、つまり喜びや愛の条件があるというのが、モートンの基本主張である。この喜びや愛を生じさせ、感じさせ、共にすることを可能にする、感覚的なものへの配慮が、モートンの環境哲学である。」
・「人間ならざるものが、人間の世界へと入り込み、人間に触り、近づいてくる。私たちはもはや、人間の社会なるものを、人間の意識、制度、意志だけで制御することはできない状況を生きている。」
・「モートンは、私たちが生きているところが、均質的な空間ではないと考える。」…